FC2ブログ

続イギリスで始めたこと

2001年からイギリスに住んでいます。 人生何があるかわかりません。思いもしなかった異国暮らし。 日々の生活の中で思うこと、発見したこと、出来事などを書いています。

エジンバラ

今週はまだ仕事に戻らずスコットランドのエジンバラに行ってきた。

IMG_20181213_111734651.jpg

初めてのスコットランド。
61歳の夫にとっても初めての訪問だった。
目的はミュージカルを観ることだった。

IMG_20181212_133246930.jpg

劇場はホテルの真ん前だった。
私たちの好きな俳優を観に行ったのだがいつのまにかダブルキャストになっていて
お目当ての俳優はお休み。
これは予想外でかなりがっかりしたがもう一人の俳優も
上手かったので良しとした。

夫の膝が悪いのと時間がそれほどなかったので
エジンバラ城は見れなかった。
駅の近くでクリスマスマーケットをやっていたので覗いてきた。

IMG_20181213_113051743.jpg

エジンバラは坂の多い街。
そして風が冷たかった。
冷えた体にカプチーノが美味しかった。

IMG_20181213_105631626.jpg

また機会があれば今度はもっと温かい季節に来たい。

スポンサーサイト

無事帰宅

昨日無事イギリスの我が家にたどり着いた。
北海道は帰国前日の7日から突然の大雪で欠航便が117便。
昼過ぎには吹雪にもなった。
実家の窓に吹き付ける雪。

IMG_20181207_133735539.jpg

余りの寒さに衝動買いしてしまったダウンジャケット。

IMG_20181206_132110640.jpg

雪がおさまることを祈りつつ迎えた8日朝。
早朝5時半に友達が迎えに来てくれて30分ほど遅れたが飛行機は飛んでくれた。
北海道を脱出できたと安心したら成田空港でまさかの大ボケをしてしまった。
手元の搭乗券をよく見ずヘルシンキ行きだけを見て全く違うゲートへ行ってしまった。
搭乗しようと券を見せるとこの便は92ゲートですと言われた。
ここで間違いに気が付いた。
待っていたのは68ゲート。
92ゲートは全く真逆だった。
ここから走る。
まさかここで走るとは・・・
いつものゲートに着くとビジネスクラスからの搭乗が始まったばかりだった。
無事搭乗。

ヘルシンキ空港の上空は暑い雪雲に覆われていた。
着陸寸前1分前でも地面が見えず久々に怖かった。
また雪かと出発便の機内から外を見る。

IMG_20181208_161145597.jpg

この羽に着いた雪を特殊な機械のジェット噴水で取り除いた。
この作業で30分遅れの出発。
少し遅れたがようやくマンチェスターにたどり着いた。
もう冬の帰国をこりごり。

時差ぼけのせいで夜中2時過ぎに目が覚めてブログを書いている。

京都

今日から12月。
今年もあと一ヶ月となり、帰国する日も秒読みになった。
先週の連休は友達と京都へ紅葉を見に行ってきた。
友達は私がいない間母を見舞ってくれたりまるでもう一人の娘のように母を看てくれた。
その友達が10月の半ば頃に突然京都へ行かないかと誘ってくれた。
彼女と最後に旅行したのは20年以上も前だった。
まだ私が日本にいる時期だし京都の紅葉を見れるなんて機会は滅多にないし
久しぶりの友達との旅行が私達のご褒美に良いのではないかと思った。
きっと母も2人が楽しむ事を喜んでくれるだろうとも思えた。

大覚寺のライトアップは思わず声が出るほどきれいだった。

IMG_20181124_190049553__1543586478_38241.jpg

2日目は朝5時半にホテルを出て嵐山天龍寺内の宝厳院に向かい
7時からの特別公開に参加して人がいない綺麗なお庭を見ることができた。

IMG_20181125_071038592__1543586648_33315.jpg

IMG_20181125_071110461__1543650658_98734.jpg

久しぶりにお互いの親の事は忘れて楽しい時間を持てた。
ひとつわかった事は計画のたて方が若かった頃のままだったけど
何とかこなしたものの欲張りすぎたね、もう若くはないねとうなずきあった。

IMG_20181125_092327714__1543586733_62226.jpg

やはり天龍寺の後はどこへ行ってもすごい人出だった。
北野天満宮の月に一度行われる天神市は出店がいっぱい。
たぶん3分の1も見れただろうか。
骨董品やら古着やら面白いものがいっぱいで
買いたいものが沢山あったが残念ながらイギリスにまでは無理。
それでも坂東玉三郎が写っていた昭和50年代の写真は私にとっては掘り出し物だった。

雨女の友達に勝って京都にいた3日間はお天気に恵まれた。
本当に楽しい小旅行だった。

初雪

IMG_20181121_081619538__1542762061_52053.jpg

昨日の朝、起きて外を見ると雪が積もっていた。
札幌での観測史上一番遅い初雪。
とうとう冬がやって来た。
8月半ばまだ30度もあった日から実家に帰ってきて気がついたら冬。

先週の土曜日に無事母の四十九日を済ませた。
その日に納骨も済ませた。
母の遺骨は先に納骨堂にいた妹と父と一緒になった。
法要には仲良くしている従姉弟夫婦二組が来てくれた。
その後母とよく行ったおすし屋さんに皆で行き
和気藹々と楽しくお寿司を食べた。
これで一段落。

もう少し日本での時間を楽しんで12月8日に帰る予定。

母がくれたのんびり心配のない時間を楽しんでいる。
特に食べ物が美味しくて仕方がない。
食べるのに仕事していたときほど動かないので
全部身になっている。
葬儀からお世話になっている住職に四十九日の席で
太ったねと言われるほど。
自分ではわかっていたが人に言われるとやっぱりそうかと実感。
イギリスに帰ったら痩せるからと言い訳しながら
もう少し日本を楽しんでしまおう。

Tさん

先週携帯にメールが届いた。
「風邪ひいてませんか?まだ日本ですか?」
母がお世話になった老人ホームの相談員Tさんからだった。

4年前、母が認知症を発症して専門の病院へ入院させたが
昔の精神病棟のような感じて母にとっても辛い思いをさせた。
一応症状が落ち着き特別養護老人ホームに移ることが可能になった。
日本に帰った時の限られた時間で探さなければなかった。
ありがたいことに一つの老人ホームを友達が紹介してくれた。
私はすぐに連絡を取り見学させてもらった。
その時に会った相談員さんがTさんだった。

初めての印象は金八先生のような長髪でちょっと驚いた。
施設内を見学させてもらった後母の様子やそれまでにあったことなど
事情を説明させてもらった。
Tさんの第一声は「それはお辛いですね。」だった。
その一言がすうっと私の心に入り、ここにお世話になろうと思った。
他の施設を見学することなく決めてしまった。
見学させてもらったのは10月末だった。
Tさんはなるべく早く母を迎えたいと言ってくれ
12月中旬には入所することができた。
異例の早さに驚いた。

その後1ヶ月も経たないうちに父が亡くなった。
数ヶ月ぶりに会った母は施設に慣れ施設の方々に良くしてもらっているのがわかった。

父が亡くなったことを知り私がイギリスに戻った後
母は気落ちしてしまい気持ちも体重も落ちてしまった。
Tさんたちのお陰で少しずつ気持ちが上向きになってきたのに
肺炎になってしまい病院に3ヶ月入院した。
Tさんは母に気力を失って欲しくないと言う理由で
毎週のように母を見舞いホームに戻るんですよと励まし続けてくれた。
その一部始終をイギリスにいる私にメールで知らせてくれた。
その甲斐があって母はホームに戻ることができた。

ホームに戻ってから母はどんどん老人ホームに馴染んでいき
Tさんはその過程も逐一私に知らせてくれもう大丈夫ですよと言ってくれた。
しかしTさんは母が施設に入所する前から施設を去る決意をされていようで
その後しばらくして施設を去られた。
残念ではあったが母が一番彼を必要としていたときにいてくださったことに
感謝するしかなかった。
Tさんに出会えたことは私の人生において最も幸運な出来事だった。
その後もTさんは母の施設に時折ボランティアとして訪ねてくることもあった。
去年里帰りした際、私が母を施設に訪ねたらちょうど来ていたTさんと再会することができた。
嬉しい再会だった。

今年の2月から母は肺炎で病院に入院してしまったが
私は8月まで行けなかった。
8月に母の病院に行っていたある日母が棚にある紙を見るように言った。
何だろうと思って見てみるとそれはTさんの置手紙だった。
Tさんは新しい仕事で世話をしている患者さんが母と同じ病院にいて
たまたま母の名前を見つけてそれから母を見舞ってくださっていたのだった。
手紙はご家族の承諾も得ず勝手に見舞っていてすいません。
良かったら連絡をくださいというものだった。
とても嬉しいサプライズだった。
母にTさんが来ていたのと聞くとそうだよと言った。
私は異国にいて従弟や私の友達が母を見舞ってくれてはいたが
頻繁にとはいかず母には寂しい思いをさせていると思っていた。
そんな時にTさんが母を見舞ってくれていたかと思うとただただありがたかった。

母が亡くなる5日前もTさんは母を見舞ってくれていて
もうすぐ娘さんが来ますよと言ったら母が知ってるよと元気に答えたと
イギリスにいる私にメールをくださった。
母が亡くなった翌日Tさんには母のことを知らせなければと連絡を取った。
Tさんは言葉を失っていた。
あんなにお元気だったのにと。
通夜に参列したいと言ってくださり母が最期まで帰りたがった施設のスタッフの方と
一緒に来てくださった。
一番良くしてくださったスタッフの方は母が大好きだったと言ってくださった。

もう母もいなくなってしまったのだからTさんとの接点は無くなったと思っていた。
イギリスに帰る直前か帰った後でもお礼のメールを送ってみようと思っていた。
するとTさんからメールが届いた。

施設に入る前の病院で母は辛い思いをした。
私は母に辛い思いをさせてしまった。
母と私はTさんとの出会いに救われた。

半世紀前の私

1541370360213_520f3652_35bf_4920_99ef_2f9556f7b3fb___1541468248_64119.jpg

大分時間が空いてしまった。
ずっと実家でのんびりしながら友達や親戚に会ったりしていた。
一昨日はおば達と父方のお墓参りに行ってきた。
その時に叔母が家にあったといって上の写真を見せてくれた。
一番奥に写っている紅一点の私。
いつの写真かとおば達と記憶をたどっていくと
たぶん父の弟にあたる私の叔父の結婚式の時ではないかと。
あの時は従兄のお兄ちゃんと三々九度のお酒を注ぐ役をやったのだ。
着物を着て紅をつけてもらったのを思い出す。
写真を撮られていることも気付かず従兄弟達と一心に折り詰めを食べている。
50年以上も前の写真。
 
昨日は母方の従姉たちとランチ。
思い出話や私が小さくて知らなかったことなど話し
楽しいひと時を過ごした。

両親が亡くなってもこうして付き合っていけるのが嬉しい。

お裾分け

昨日実家の裏のおじさんが自分の畑で取れた大根を持って来てくれた。
元気な葉っぱもついた立派な大根。
今日は午前中から大根と格闘。
葉は漬物もどき。皮はキンピラ。大根は煮物に。
一人では食べきれないのでお向かいさんに更にお裾分け。

IMG_20181018_163028280-375x500.jpg

お向かいさんは午後からお仕事なので玄関先に置いてきた。
母も元気な頃は時々お向かいさんにもおかずなど置いていたと
通夜にいらしてくれたお向かいのご主人が言っていた。
時間が合わず母に礼を言えないままだったと。

大根はイギリスにいると食べたい物の一つ。
今年はしっかり食べる。

不思議な偶然

急にやることがなくなってしまった。
片付けなどやる事は沢山あるのだがそれには手を付けたくない。
葬儀後の手続きは年金関係以外は終わった。
父が亡くなったときに家や土地の名義は私に変えたので
それに関しては問題は無い。

両親が元気だった頃は色々な予定を作って忙しかった。
両親が病に倒れてからは毎日のように病院や施設に通っていた。
それが突然行く所、やることがなくなってしまった。

悲しいと言うよりは寂しいなと思う。
亡くなった家族の思い出が詰まる実家に一人でいる。
どれもこれも思い出に繋がってしまう。

母が亡くなった時、なぜ私が帰ってきてからたった三日でと悔やまれた。
葬儀が終わって葬儀会社がくれたプリントがあった。
初七日などの日付が印刷されたものだった。
実家に母の遺骨と戻って一人になってふとそのプリントを見た。
四十九日はいつだろうと見てみるとその日は亡くなった妹の誕生日だった。
私は母と妹の遺影を見ながら
「そういうことだったのね」と言った。

勝手な私の思い込みでしかないけど
母はあの日に旅立たなければならなかった。
そして四十九日、本当にこの世を離れるときに
妹が迎えに来てくれるのだと思った。
そういうことなんだと思うと気が晴れた。

ただの偶然なのだろうけどこの偶然が
私の悲しみを和らげてくれた。

お久しぶりです

少し時間が空いてしまいました。

先月30日に母を見送りました。
イギリスで所用を済ませ12日に日本に戻る予定でしたが
母の容態が急変し、予定を早めて28日に日本に戻りました。
母はその3日後にこの世を去りました。

職場で介護休暇をもらいやっと母のそばでイギリスに帰る日を気にせず
いられると思っていたのにたった3日でした。
前回の帰国から10日あまりでしたが母は最期の力を振り絞って
私の帰りを待っていてくれたようです。

亡くなる日の朝に病院から連絡が入りすぐ駆けつけました。
その日の夜でした。
心配してくれた友達、従弟が見舞いに来てくれて帰り
私と二人きりになって逝きました。
きっと私が一人になってもみんながいれば大丈夫と
安心したのだと思います。

母の最期、母の手を握り、私のために頑張ってくれてありがとう。
もう頑張らなくて良いこと。
そして妹が迎えに来ているのなら一緒に行っていいよと言いました。

妹も父も見送ってやれなかった。
せめて母だけは。
どうしても母だけは送りたいと願っていたので
母を見送れた私はとても幸せでした。

妹や父の時と同じように身内や友達に助けられ
無事母を送ることができました。

いろいろなことが母との思い出に繋がって
時折涙する事はありますが
めそめそはしていません。

してやれなかったことばかりで悔やみ始めたら限がないくらいです。
でも母が頑張って私を待っていてくれたので
見送ることができたそれだけでよかったと思っています。

お心配をおかけしていると思いますが、
私は大丈夫です。

楽しかったことなどなど

地震に振り回された後半の里帰りだったが楽しかったことも。

地震のあとのショックを癒してくれた子たち。
IMG_20180908_124658500[1]
クーちゃん

IMG_20180907_132220494[1]
めろんちゃん

目張りをした実家の食器棚。
IMG_20180911_111235619[1]

この時期しか食べれない生うに。
IMG_20180901_170146878[1]

おまけの1週間で連れて行ってもらった素敵な場所。
IMG_20180911_150808766[1]

帰途につく。まだレストラン街、免税店も閉鎖中だった。
IMG_20180915_153815111[2]

香港の空港で食べた。美味しかった。
IMG_20180915_214622101[1]

明日また日本に向かいます。
今回はしばらく日本にいる予定です。
古いPCを持って行くので次回は日本から発信できることを祈って。