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続イギリスで始めたこと

2001年からイギリスに住んでいます。 人生何があるかわかりません。思いもしなかった異国暮らし。 日々の生活の中で思うこと、発見したこと、出来事などを書いています。

お裾分け

昨日実家の裏のおじさんが自分の畑で取れた大根を持って来てくれた。
元気な葉っぱもついた立派な大根。
今日は午前中から大根と格闘。
葉は漬物もどき。皮はキンピラ。大根は煮物に。
一人では食べきれないのでお向かいさんに更にお裾分け。

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お向かいさんは午後からお仕事なので玄関先に置いてきた。
母も元気な頃は時々お向かいさんにもおかずなど置いていたと
通夜にいらしてくれたお向かいのご主人が言っていた。
時間が合わず母に礼を言えないままだったと。

大根はイギリスにいると食べたい物の一つ。
今年はしっかり食べる。

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不思議な偶然

急にやることがなくなってしまった。
片付けなどやる事は沢山あるのだがそれには手を付けたくない。
葬儀後の手続きは年金関係以外は終わった。
父が亡くなったときに家や土地の名義は私に変えたので
それに関しては問題は無い。

両親が元気だった頃は色々な予定を作って忙しかった。
両親が病に倒れてからは毎日のように病院や施設に通っていた。
それが突然行く所、やることがなくなってしまった。

悲しいと言うよりは寂しいなと思う。
亡くなった家族の思い出が詰まる実家に一人でいる。
どれもこれも思い出に繋がってしまう。

母が亡くなった時、なぜ私が帰ってきてからたった三日でと悔やまれた。
葬儀が終わって葬儀会社がくれたプリントがあった。
初七日などの日付が印刷されたものだった。
実家に母の遺骨と戻って一人になってふとそのプリントを見た。
四十九日はいつだろうと見てみるとその日は亡くなった妹の誕生日だった。
私は母と妹の遺影を見ながら
「そういうことだったのね」と言った。

勝手な私の思い込みでしかないけど
母はあの日に旅立たなければならなかった。
そして四十九日、本当にこの世を離れるときに
妹が迎えに来てくれるのだと思った。
そういうことなんだと思うと気が晴れた。

ただの偶然なのだろうけどこの偶然が
私の悲しみを和らげてくれた。

お久しぶりです

少し時間が空いてしまいました。

先月30日に母を見送りました。
イギリスで所用を済ませ12日に日本に戻る予定でしたが
母の容態が急変し、予定を早めて28日に日本に戻りました。
母はその3日後にこの世を去りました。

職場で介護休暇をもらいやっと母のそばでイギリスに帰る日を気にせず
いられると思っていたのにたった3日でした。
前回の帰国から10日あまりでしたが母は最期の力を振り絞って
私の帰りを待っていてくれたようです。

亡くなる日の朝に病院から連絡が入りすぐ駆けつけました。
その日の夜でした。
心配してくれた友達、従弟が見舞いに来てくれて帰り
私と二人きりになって逝きました。
きっと私が一人になってもみんながいれば大丈夫と
安心したのだと思います。

母の最期、母の手を握り、私のために頑張ってくれてありがとう。
もう頑張らなくて良いこと。
そして妹が迎えに来ているのなら一緒に行っていいよと言いました。

妹も父も見送ってやれなかった。
せめて母だけは。
どうしても母だけは送りたいと願っていたので
母を見送れた私はとても幸せでした。

妹や父の時と同じように身内や友達に助けられ
無事母を送ることができました。

いろいろなことが母との思い出に繋がって
時折涙する事はありますが
めそめそはしていません。

してやれなかったことばかりで悔やみ始めたら限がないくらいです。
でも母が頑張って私を待っていてくれたので
見送ることができたそれだけでよかったと思っています。

お心配をおかけしていると思いますが、
私は大丈夫です。

楽しかったことなどなど

地震に振り回された後半の里帰りだったが楽しかったことも。

地震のあとのショックを癒してくれた子たち。
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クーちゃん

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めろんちゃん

目張りをした実家の食器棚。
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この時期しか食べれない生うに。
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おまけの1週間で連れて行ってもらった素敵な場所。
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帰途につく。まだレストラン街、免税店も閉鎖中だった。
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香港の空港で食べた。美味しかった。
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明日また日本に向かいます。
今回はしばらく日本にいる予定です。
古いPCを持って行くので次回は日本から発信できることを祈って。

地震を体験して3

イギリスへ戻る航空券が延期できたのでほっとした。
ガソリンは4分の1くらいしかなかったので母を見舞ったら
実家に戻るつもりでいた。
停電が回復した母の病院で携帯の充電をさせてもらっていた。
そこへ従弟から電話が来た。
その日の朝から停電が回復しているので泊まりに来ないかと言ってくれた。
気持ちは嬉しかったがガソリンの残量が心配だったので
丁重に断って実家に戻った。
ところが実家に戻ると携帯が圏外になってしまう。
ご近所の方の情報で実家のあたりは携帯の電波が届かなくなっているそうだ。
誰とも連絡が取れない。
特に私からの連絡を待っている夫に連絡が取れないのはまずい。
残り少ないガソリンで従弟の家に行くことにした。
そう決めた時にはもう暗くなっていた。
従弟の家までたどり着くのにまだ回復していない信号なしの交差点を通るのがとても怖かった。
従弟宅に着いたときはほっとした。

従弟宅では一番風呂、ピール付きの夕食で至れり尽くせりだった。
その日の夜、実家のお向かいさんから電気が回復したとメールが届いた。

地震から3日目。
長時間並ばなくてもガソリンが満タンに入れられるようになった。
ガソリンを入れたらまたまたほっとした。
従弟がこれを教訓にガソリンが半分になった時点で給油することと言った。

満タンになったので必要なところに寄って帰ることにした。

おば宅、母、友人。
最後の友人宅で旦那さんが近くのスーパーに行ってきたと言った。
お店の棚が結構空だったと言っていた。
私も何か買って帰ろうと思った。
その日はなんだかほっとしたのでビールが飲みたくなった。
旦那さんにビールはあったかと訊くといっぱいあったとの答え。
ビールと刺身を買って帰った。

家に戻ると友達から電話が来た。
余震なのか自分がただ揺れいているだけなのかわからなくて不安だと言う。
友達を励まして電話を切った。

夕食。
まずはビールを飲んだ。
冷たくて美味しかった。
ふっと一息ついた。
次の瞬間突然涙があふれてきた。
自分でもびっくりした。

その日母のことで感情的になることはあった。
しかしそれ以上に地震にあったことがショックだったのだと思った。
ほっとした途端に涙が出てきた。
たった2,3日のことだったのに気が張っていたのだ。
そう思うと避難所にいる方々は私よりももっと大変な思いをしているのだと思った。

地震を体験して2

5時間並んで必要なものを手に入れ家に戻った。
まずはお昼を食べてさてこれからどうしたものか。
母の確認をしたいが道路は大丈夫かと思っていたら
友達がご両親の安否を確認して自宅に帰る途中実家に寄ってくれた。
停電のため信号は点いていないが大きな道路なら大丈夫ということで
友達に携帯の充電を頼み母の病院へ向かった。
病院は自家発電が使われており、薄暗い中母は大丈夫だった。
地震の恐怖もあまりなかったようだった。
その後友達の家に寄って充電してもらった携帯をもらった。
友達は家にあった食料を持たせてくれた。

明るいうちに帰った方がいいと友達の家を後にした。
実家に着くとお隣さんが冷蔵庫の中にあったもので料理を作り
私におにぎりと煮物を差し入れしてくださった。
それはそれは美味しい夕食だった。

夫に電話すると夫はパニックだった。
わからないことばかり。
電気はいつ回復するのか?これからどうなるのか?
2日後に帰る予定だったのに飛行機は飛ぶのか?
明日になればもう少し情報が得られると夫をなだめて電話を切った。

その後その日出勤した友達が仕事帰りに寄ってくれた。

その日は懐中電灯とラジオでしのいだ。

翌日はまず航空会社に電話をしようと思ったら
携帯が圏外になってしまう。
これでは何もできない。
すぐに必要なものを車に積み込んで
友達の家に直行した。
友達の家に着いて携帯を見ると使えるようになっていた。
友達の家で航空会社に電話する。
フリーダイヤルは話し中で繋がらない。
有料の番号にかけてみる。
やっと繋がったが電話にでたオペレーターは午後にならないと
飛行機が飛ぶかまだわからないと言う。
そこで帰る日を延ばすことにした。
とてもこんな状態で翌日日本を離れる気にはなれなかった。

地震を体験して1

今回の地震で感じたことを書いておこう

地震があった6日はいい天気だった。
5時間並んでようやく必要なものを買えた後実家に向かった。
車を使わずに行ったので帰りも歩きだ。
帰る途中ゲートボールのコースに近づくと高齢の方々が
ゲートボールをやっていた。
必要物資を手に入れようと並んでいた光景とはかなり違って見えた。
あの地震のあとにゲートボールをしていた人たちはちょっと異様に見えた。
しかし戦争を体験してきた世代は私よりも肝っ玉の据わり方が
違うのかもしれないと思った。

さらに進んでいくと今度は住宅街のあるお宅では
テントを張り、バーベキューが始まっていた。
ビール片手に焼き肉を食べている姿を見て正直驚いた。
でも考えると停電で家電は使えない。
冷蔵庫に入っているものはこの暑さではすぐにダメになってしまう。
発想の転換。
いつまでも怖がってたり、立ち止まっていても仕方がないということか。

イギリスに戻りました

大変ご心配をおかけしました。
今朝無事にイギリスの我が家にたどり着きました。
3週間の予定だった里帰りが1週間延びて4週間。
とても中身の濃い日々でした。

今までに経験したことのない大きな揺れ。
実家は地震と同時に停電になったようでした。
枕元に置いておいたスマホにすぐお向かいさんや友達から
無事を確認し合うメッセージが入りました。
ベッドは窓際だったのでどうしたものかとカーテンを開けて見ていると
お隣の奥さんが懐中電灯片手に我が家にやってきたのが見えました。
その後着替えてご近所さんと大丈夫か確認し合いました。
実家は落ちたものはあったが割れたりしたものはありませんでしたが
お向かいもお隣さんも食器や壁掛け時計が割れて散乱したそうです。

スマホで電灯、ラジオを使い、夫とはビデオチャットをしていたら
あっという間に電池が少なくなっていきました。
我が家には手動式の懐中電灯、乾電池で聞けるラジオがありました。
一番大切に思えたのは連絡が取れる携帯電話。
しかし充電するすべがない。
電池式の充電器が欲しいと思いました。
明るくなるのを待って近所の商業施設に出かけました。
そこに行きつくには片側2車線の道路を渡るのですが
信号が停電で点いておらず止まらない車を見ながら渡るのが怖かったです。

一番欲しかった充電器は買えませんでしたが
自動車のタバコソケットから充電できるケーブル、単一、単三電池、卓上コンロに使う
ガスカセットを買うことができました。
朝9時から並んで5時間。
並んでいる間の青空、異様な多さだと思えるトンボを見ていました。

地震の2日後に帰る予定でしたがたとえ予定通りに飛行機が飛んでいたとしても
あのタイミングで帰国するのは無理だったでしょう。
余震は続いていましたが日常の生活が少しずつ戻ってきた頃に
帰途に就くことができました。

私のことを心配してくださった方々、ありがとうございました。
お会いしたことはありませんがとても嬉しく、そして感謝しています。

無事です

ご心配をおかけします。個別にお伝えできないので
この場でご報告します。
6日未明今までに経験したことのない揺れで叩き起こされました。
私のところは震度5でした。
すぐに友達やいとこ、ご近所さんから安否を確認する連絡が入りました。
実家は幸いほとんど被害はありませんでした。
水は大丈夫でしたがすぐ停電になりそれからが大変でした。
7日夜にようやく電気が開通しました。
7日の時点で8日にイギリスへ帰る予定だった航空券を
15日、1週間後に変更しました。
病院に入院中の母も大丈夫。
幸いなことに母は地震を覚えていないそうです。
イギリスにいる夫と連絡を取るのが大変でした。
大変な時に日本に居ましたが今は私が日本にいた時で良かったと思っています。
母の安否もこの目で確認できたし、大切な人達ともすぐに連絡を取れました。
ご心配をしてくださった方々、本当にありがとうございます。
私は無事です。大丈夫です。
今は大きな余震が来ないことを祈るのみです。

イギリスの夏

イギリスの夏がやってきた。
雨と曇り空。

明日から3週間ほど里帰り。

お隣の猫ちゃんたちに挨拶をしたかったけど
エミーさんがお出かけの様で猫ちゃんたちに会えなかった。
残念。

北海道は暑さが少し戻ったようなので
もう一度夏を楽しんできます。