続イギリスで始めたこと

2001年からイギリスに住んでいます。 人生何があるかわかりません。思いもしなかった異国暮らし。 日々の生活の中で思うこと、発見したこと、出来事などを書いています。

新しい掃除機

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新しい掃除機を買った。
掃除機をかけるのはほぼ夫の仕事なのだが
ここ数年使っている掃除機に文句を言っていた。
テレビではダイソンのコードレス掃除機が宣伝されいいのは分かるが
私たちにはちょっと高すぎる。
そろそろ買い替えようかと言う話になりいろいろと調べると
ダイソンでなければそれほど高くないものある。
今回アマ○ンで見つけたバーゲン品があった。
携帯電話のポイントがたまって20ポンドの商品券もあったので
元値250ポンドを65ポンドで買えた。

使い心地は満点。
2.5キロなので軽いし何よりコードがないのが便利だ。
4時間の充電で25分使える。
夫は大満足で毎日掃除機をかけている。
吸い込みも今まで使っていたものより良くて優れものだ。
これで2階の掃除も楽になる。

ちょっとした夫へのプレゼントになった。
これからもお掃除よろしく。

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グランドナショナル2018

今年もグランドナショナル(競馬)がやってきた。
夫と3頭ずつ馬を選んだ。
夫は好きな馬と一頭は女性騎手でなんと夫と同じ苗字。
夫の苗字はちょっと珍しくてあまり聞かない。
夫の好きな馬の一頭は一番目の障害で落馬。
その次は女性騎手が落馬。
最後の一頭も落馬。
私が選んだ3頭。
一番最後の選んだのがタイガーロール。
妹の干支がトラだったので決めた。
私が選んだ3頭は落馬せず一着でゴールしたのは
なんとタイガーロールだった。
これで2年連続一着を当てている私。
今年は多分妹のおかげかな。

我が家の胡蝶蘭は11月の妹の誕生日に最初の花を開いた。
その後6つの花を付けた。
造花かと思うくらい咲き続けた。
なんと5が月も。
一昨日が妹の命日だったのだが命日が終わった途端に
花がしぼみ始めた。
なんだか妹が咲かせてくれたような感じがする。

ご近所さん

今日は雨の予報だったので大きい物は洗濯をあきらめていたのに
とてもいい天気になった。
天気予報はあっという間に晴れに変わっていた。
まだ大丈夫そうだと思いシーツ類を洗った。
洗濯機が回っている間にプランターの花がらを取っていた。
ふっと顔を上げると私の目の高さより上の塀の上に
この子がいてびっくり。
いつから私を見ていたのか?

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この子は多分以前うちに遊びに来ていたピップの子供だ。
お隣さんがピップの子猫をもらったのだ。
ピップのようにおしゃべりではないが時々裏庭にやってきているようだ。
今日は指の匂いを嗅いでもらった。

ローズメリーさん

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この椿のお花は数年前にお客様のローズメリーさんから頂いたもの。
ご自宅の庭から切って持ってきてくださった。
接客をした際に私が日本人だと言うと昔日本へ行った時の
フライトアテンダントの方がとても素晴らしい人だったと私にも好意を持ってくださった。
毎週土曜日に買い物にいらしてまず最初に私に挨拶に来てくださった。
ここ数年は娘さんと一緒に買い物をされていた。

去年の秋ローズメリーさんがお一人で近所に買い物に出た時に
転ばれて怪我をしてしまった。
娘さんが教えてくださった。
幸い骨折などなく打撲だったので良かったと話していた。

その後娘さんが買い物にいらっしゃるたびにお母様が
どんな様子か教えてくださった。
少しずつ回復に向かっていたので焦らずに
温かくなってから顔を見せてくださいと伝言してもらった。

今日娘さんがお店に現れた。
私を見つけると何か言おうとする前に表情が崩れた。
涙をこらえて実はと話し出したのですぐにお母様が亡くなったのだとわかった。
手術を受け回復にむかっていたはずが急に悪くなって
先月の26日に亡くなられたそうだ。
苦しまずに逝かれたのですかと尋ねると
それは穏やかな死で娘さんが看取ったと話してくれた。
そこまでで私たちは抱き合って泣いてしまった。

温かくなったらまたお顔が見られると思っていたので
とっても残念だ。
もうすぐ90歳だったそうだ。

はきはきっとしたしゃべり方で去年BBCで日本の特集があった時
とても良かったと笑顔で話してくださったのを思い出す。
ガーデニングが好きでもう植えるところがないんだけれどとおっしゃりながら
毎週お花屋さんの植物を楽しみに見てくださった。

色々と気にかけてくださってありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。

テズ

テズが今日で会社を去った。
私が今のスーパーに入社した時彼はまだ20歳くらいだった。
平社員からいくつかの部署のマネージャーを務めて
支店長補佐まで昇進した。
一緒に仕事を始めた同僚の中では出世頭だった。
支店長補佐になった後はずっと同じ支店にはとどまらないで
転勤になるのが会社のルール。
たまにこの店に手伝いに来ることもあった。
ここ2,3週間前にまたこの店に来た。
しかし会社がマネージャークラスの人員整理をすることになり
テズもその中に入ってしまったようだ。

私は今の会社に13年務めている。
最初テズに会った時はいたずらっぽさの残るまだ少年の様だった。
それから青年になり結婚もした。
私のマネージャであったこともある。
かなりアホなマネージャーだった。
スタッフには伝えずに突然日程表を変えてスタッフに無駄足を運ばせたり
辻褄の合わない嘘をついてその場をしのいだり
お世辞にもいいマネージャーとは言えなかった。

ある日私の勤務時間を変えた。
それは遅い時間で私にとっては都合が悪くなるものだった。
どうして変えたのかとテズに尋ねるとそれは自分ではなくて
人事課が変えたのだと言う。
よく知りたければ人事課のマネージャーに聞くしかないねと言う。
そう言われて私は人事課のマネージャーに聞きに行った。
マネージャーのジューリは私にとってはとてもいい人で
色々と助けてもらった。
ジューリに事情を説明するとジューリは全く知らない話だった。
ジューリは「不思議な話ね。とにかくテズに訊いてみましょう。」と言って
その場で店内放送をかけた。
呼ばれたテズは私とジューリを見て驚いた様子。
「kemmiの勤務時間についてなんだけど」とジューリが質問すると
テズはしどろもどろになった。
ジューリは私にあとは2人で話すから職場に戻っていいわと私に言った。
そのあとテズが私のところにやってきて勤務時間は今まで通りだからと言った。

一緒に仕事をしていて頭にくることも多々あったのだが
その一方で憎めないところもあるやつだった。

今日昼休みに社員食堂に行くとテズと仲間のアンディーがいた。
アンディーが私に今日がテズの最後の日だよと言った。
私の最悪の元マネージャーさんと言ってハグをした。
これからどうするのと訊くととりあえず次の仕事はあるそうだ。
学校を出て18年だから30代半ば。
この機会に他の社会も見てみるのもいい経験になるよと言ってみた。

テズのことだから何とかするだろう。

あの時の母と同じ年齢になって

パンクのあとはちょっと風邪をひいてしまったが
悪いことの3つ目はなさそうだ。

昨日友達と久しぶりに電話で話した。
24歳の時にオーストラリアに一緒に行った同い年の友達。
お互い初めての海外で一年一緒だった。
2人とも子供はいないが友達には甥っ子姪っ子がいる。
学生の姪っ子が海外に興味を持っていて
イギリスに住んでいる私の話を聞きたいと電話で話したことがあった。
その後姪っ子さんはどうなったと聞くとお菓子作りに興味を持ってきて
そちらの学校に行くようでその学校ではフランスに研修旅行もあるそうで
フランスには絶対に行きたいと言っているそうだ。
若い頃はやりたいことがいっぱいあっていいね。
30年以上も前に一年もオーストラリアを放浪していた私たちだが
友達は姪っ子のことはとても心配だと言う。

高校のころから外国で暮らしたいと思っていた私は
それを実行するために会社を辞める計画を立てていた。
友達の中ではこの友達だけが興味を持って話を聞いてくれて
何も調べていなかった私に代わって色々と図書館などで調べてくれて
オーストラリアだとワーキングホリデービザと言うのがあって
最長一年間旅行ができる。
長期にわたらなければ仕事もできると教えてくれたのだった。
何処の国に行くかも決めていなかった私はオーストラリアにすることにした。
ずっと話を聞いていてくれていた友達が突然自分も一緒に行くと言い出した。

電話で話していて今の私たちの年齢はあの時私たちを送り出してくれた
私たちの母たちの年齢なんだよと話した。
お互い子供がいないから想像がつかないけれど
今私たちに20代半ばの娘がいて外国に行きたいと言い出したら
行っておいでと言えるだろうか。

友達も私もオーストラリアでの一年は宝物と言える経験だった。

日本に帰ってきた後友達はすぐに実家をはなれ牧場で働いた。
自動車の免許を取ったり、調理師の資格も取った。
たまたま与那国で期間限定のサトウキビの仕事に行った。
そこですっかり与那国が気に入って帰ってきてから
すぐに与那国に移り住むことにした。

実は友達の母親はかなり心配症で精神的に安定していないところもあり
友達はあまり話をせず決めたことをいつも事後報告だった。
与那国に行くことも家を出る一日前に親に言ったのだった。

友達が与那国に行ってしまったすぐ後に彼女のお母さんが私に電話をくれた。
娘は何も言ってくれない。
仲がいいあなたになら色んなお話をしていたのではないですか?
なんで与那国なんて遠い所へ行ってしまったのでしょうと聞かれた。
あの子はオーストラリアに行ってから変わってしまったと嘆いていた。
私を責めはしないが私が友達に影響を与えてしまったのは明白だ。
友達は与那国をとても気に入ってしまったこと。
でもお母さんには心配をかけたくなくてなかなか言い出せなかったのではないか。
きっと落ち着いたら手紙や電話が来ると思いますと言うしかなかった。
お母さんに恨まれても友達がやりたいと思うことをするのなら
それでもかまわないと思った。

実はこの話は友達には言っていなかった。
昨日電話でこの話をした。
びっくりしていた。

友達のお母様は認知症を患われていて友達のことを
自分のお姉さんだと思っている。
今は北海道に戻っている友達。
お母さんを妹さんたちと協力しながら介護し仕事も続けている。
お母さんにその頃のことを尋ねることはできない。

今あの頃の母たちの年齢になった私たち。
あの時に自分たちを外の世界に送り出してくれた母たちに
感謝だよねと頷き合った。

一難去って・・・

温かい家の中で昼食を済ませてのんびりしていると
ドアをノックする音。
夫が出るとご近所さんで助手席の車のタイヤがパンクしていると教えてくれた。
昨日運転した時は何事もなかったのに見ると見事に釘が刺さっていた。
夫はこの時点でパニック。
タイヤ屋さんに行って新しくするしかない。
パニックになっている夫をなだめながらまずはスペアタイヤに取り換える。
道産子なので若い頃は年に2度自分でタイヤを取り換えていたので
何をするかはわかっていた。
ただ、夫がパニックになりながら手伝おうとするので触らないように言うと
へそを曲げて家の中に入ってしまった。
その間にストレスフリーでタイヤを取り換えられた。

タイヤ屋さんで新しいタイヤに取り換えてもらった。

一難去ってまた一難。
でもご近所さんが教えてくれなければそのまま知らずに
運転して事故を起こす可能性もあったので
親切なご近所さんに感謝。

夫が悪いことは3度まであるからもう一つ何かあるよと言っている。
これ以上何事も起こらないことを祈るのみ。

ようやく

金曜日の朝に壊れてしまったボイラー。
暖房、温水が使えなくなったまま
またやってきた寒気でかなり冷えた。
雪まで降るおまけ付き。

金曜日にまたあとで連絡をすると言ったボイラー技士の人も
大家さんの息子も連絡くれなかった。
土曜日はもうどこも仕事をしないので
小さな電気ヒーター1つで夫と凍えていた。
仕事先も週末の寒さで冷えていた。
月曜日にまた大家の息子に連絡を取る。
息子さんは不動産管理会社に委託したので
もう直してくれていると思っていた。

管理会社に連絡を取ってくれて連絡が来た。
部品を頼んでいるところで最悪の場合は月曜日もダメかもと言われた。
どうなるか連絡をくれると言ったが来なかった。
典型的なイギリス人仕事。

そして今朝。
10時半になっても何処からも連絡がこないねと話していたら
ドアがノックされて開けるとボイラー技士さんがそこに立っていた。
彼が天使に見えた。
彼の話によると部品が手に入ったのが今朝だったそうだ。
でも誰も連絡をくれなかった。
それでも彼が修理してボイラーがよみがえった時は嬉しかった。

4日間も暖房なしだったので家自体が温まるのに夕方までかかった。
部屋が温かい。蛇口をひねると温水が出る。
今まで当たり前だったことがありがたく感じる。

夫と事あるごとに温かいね。
お湯が出るねと喜んでいる。

またしてもボイラー

今日はまた寒気が戻ってきて零下。
風も強くて体感気温はマイナス7度くらいと言われていた。
とにかく寒い。
仕事中に外を見ると時々吹雪になり
遠くの景色が見えなくなったと思ったら晴れ間が出て青空が見えたりした。

週末は寒くなると警告が出ていた。
金曜日の朝、夫がセントラルヒータを入れようとボイラーのスイッチを入れたら
ブレーカーが落ちた。
何度も落ちるのでボイラーが使えない。
と言うことは暖房が入らず温水も出ない。
大家さんの息子のアンソニーに連絡を取ったが息子さんの具合が悪く
病院にいるとのことで身動きが取れないようで
その後連絡が入らなくなった。
週末はどこもお休みなので月曜日までは無理そうだ。
今小さな電気ヒーター1つで暖を取っている。
我が家はいつも不都合が起きるときは週末にぶつかってしまう。

不動産会社の技術者が見てくれた。
ボイラーのポンプがもう駄目だそうだ。
もう12年以上は使っているので寿命が来たかな。
明日もまだ寒いそうだ。
早く月曜日にならないかな。

ハイジ

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白いカンパニュラを買ってきた。
とても可愛いので花が終わるまでは家の中に置くことにした。

赤毛のアンを楽しんだので他にも世界名画劇場のシリーズを見たくなり
アルプスの少女ハイジを見つけた。
毎日一話、二話と観ていた。
英語の字幕もついていたので赤毛のアンを一緒に楽しんだ夫は
最初からハイジを観ていた。
これは1974年の作品。
とても丁寧に作ってあって内容を忠実に表現されいた。
夫はハイジの話は知らなかったようだ。
内容を話してしまうと楽しみが半減してしまうのであえて言わなかった。
涙もろい私が泣いている場面では60になった夫も泣いていた。
割と夫も涙もろい。

最初に放送されたときは私は中学生だった。
家族と毎週放送されるハイジを楽しみに見ていたのを思い出す。
名作を一年間丁寧に作ったいい番組だった。
製作者の中に宮崎駿氏の名前もあった。